代表: 岩間 靖司(いわま せいじ) 1990年7月29日、三重県生まれ
私は、私の人生を変えてくれたきっかけのワーホリ制度とドイツでの生活に大変感謝しています。ワーホリや語学留学、現地採用でこれから渡独する方達に私が体験したことよりも素晴らしいドイツでの生活を送ることができるように、ドイツの素晴らしさを伝えていきたいと思います。
少し長くなりますが、私がワーホリ(ワーキングホリデー)制度を利用してドイツに行くことになった経緯とビザ発行までをお伝えいたします。
26歳の時に、日本で7年間務めていた刑務官を辞めました。刑務官という職業は、給与も安定していて休暇もしっかりしていて不満はありませんでしたが、私にはボードゲーム等の作成や大会等をしたいという自分の夢に生きることを決めて決断しました。
僕の目指すボードゲームでは、規格が一番大きいドイツを目指す必要がありました。海外生活を体験できる方法を探すと「ワーキングホリデー」という制度を見つけました。
ワーキング・ホリデー(Working Holiday)とは、2国間の協定に基づいて、⻘年(18歳〜25歳、26歳、29歳または30歳)が異なった文化(相手国)の中で休暇を楽しみながら、その間の滞在資金を補うために一定の就労をすることを認める査証及び出入国管理上の特別な制度です。
原則として、各相手国ごとに一生に一度しか利用できません。ビザ取得が容易で僕が行きたいと思っていたドイツも対象国ということで、この制度を利用しようと思い「日本ワーキングホ
リデー協会」に相談し、同協会が行っている無料でのオンラインセミナーや個人での面談をしていただきました。
この時の面談で、私は行先がドイツの場合は注意が必要だと警告を受けました。その理由は、もし海外に行く理由が語学勉強の場合、ドイツでは授業が全て英語なので、二重に翻訳をする必要があり英語ができていないと翻訳するのも一苦労し、勉強をするのが大変なので、もし一つ段階を踏んでいいのならば、先ずはオーストラリアで英語を学習してからドイツという段階を踏んだ方がい
いというアドバイスを受けました。
大変参考になる話でしたが、自分の目的はボードゲームなので、最低限の言語で大丈夫であるとういう考えだったので、目的は語学勉強でないという理由で、ワーホリ先をドイツで申請しました。
下記は自分が当時申請時に用意した書類と準備物です。
1. 申請書
2. 誓約書
3. パスポート用写真
4. パスポート(ワーキングホリデー中の期間を残しているパスポート)
5. 往復航空券予約の証明書
6. 旅行者用医療保険(ステップインにしました)
7. 生活費支払い能力の証明(ドイツの場合最低2,000ユーロ)
申請書、誓約書は日本ワーキングホリデー協会が作成してくれました。パスポートは去年シンガポール旅行に行っていたので、10年期間の物を所持。旅行者用医療保険自分はステップインという所にしました。1年でだいたいですが10万前後の料金でした。
書類関係は日本ワーキングホリデー協会が作成を手伝ってくれたので申請準
備は直ぐに揃えることができました。その後大阪に行き手続きが済むと(ごめんなさい名前を忘れましたが)ワーキングホリデービザ証明書のような用紙をいただきそれをドイツの入管時に見せるとパスポートにワーキングホリデーのスタンプのようなビザを押して
もらえました。
折角なので難しいと言われた語学勉強もどのぐらいか体験したいと思い、1ヵ月という短いコースも申し込んでみました(週5、4時間)。そしてこの語学勉強期間の1ヵ月と同じ期間ホームステイも体験してみたいと思い申し込みました。2つでだいたいですが、35、6万円くらいかかりました。
ワーキングホリデービザは取得できたので、あとは渡独日の7月1日に向けて自分が持って行く荷物の準備。「日本ワーキングホリデー協会」で得られた情報を元にと自分でも調べた情報で荷物を準備していく。
ネットで調べると、洋服も安く買える手段を見つけたので、そんなには要らないことがわかり4日分の服装。携帯電話や電気シェーバーの為の充電器を使用する為の変換機Cタイプを3つ程。自分が服用する可能性がある薬やクリームはドイツで揃えることが難しいと
いうことがわかったので薬等は必要になりそうな種類を揃えた。
後はドイツでも買うことができるので、移動のことを考えて機内持ち込みできる鞄に収まる量にすることができた。私の場合、最初はケルンのホームステイで、次はデュッセルドルフのシェアハウスでの住居を決めることができ、2つとも家具家電は揃っているので、荷物
は少なくできた。
いよいよ7月1日当日空港に到着。機内持ち込みだけなので、チェックインはチケット確認で終わり余裕を持って搭乗口へ到着。これまでシンガポールにしか旅行は行ったことがありませんでしたが、日本から出る場合は日本語なので、全く迷うことはない。機内へも問題なく入ることができました。
中部セントレアからフランクフルトのルフトハンザ航空便なので機内の食事等は英語で話してきたので、少しとまどいましたが、機内は簡単な言葉なので問題はありませんでした。
(機内のことですが、僕個人のドリンクのオススメはスプライト。スプライトは缶で氷を入ったコップでくれるので、量が多く食事時の忙しい時は、呼びづらいので、炭酸が嫌いでなければ個人的にオススメです。会社によっては当然違うのであくまで参考までにですが...)
日本からドイツは約12時間前後のフライトですが、寝たり、映画(海外の会社の場合英語版が多いので他の暇つぶしを持参した方が便利)を見たり携帯ゲーム機を持ち込んでいたので、想像よりも苦にはなりませんでした。
無事にフランクフルト空港に到着。入管で大阪でもらった書類を見せるとパスポートにワーキングホリデーのスタンプのような物を押してくれてほとんど話すことなく入国できました。機内持ち込みの荷物だけだったので、待つこともなく次の目的であるフランクフルトからケルン行きの電車を探す。
事前情報で電車は物凄い迷うとの情報があったので、このチケット(事前に予約した電車のチケットチケットを購入するのが迷うとの情報も多かったので先に購入)ホーム番号を教えてくださいという紙を用意して駅員に見せて番号を覚えてそのホームへ行く。
大分時間の余裕を持たせてあったので、一時間半ぐらい待ったものの、目的の電車へ乗車できました。(今の場合もし携帯を利用できる状態ならば先に「DB Navigator」というアプリを入れて置き目的駅を全て登録しておくと駅員さんを頼らなくて行けるのでオススメです)
無事に電車に乗ることができましたが、目的地Kölnの駅を逃さないように景色を楽しみながらも降りる予定時間が近づくたびにアナウンスは今の自分には何を言っているか全然わからないのでドキドキする。
とはいえ、景色を見ているのは楽しい。日本では見ることができない景色を見て改めてドイツに来たんだということを実感できるドイツの景色。空港ではあまり実感できなかったけど、この景色でようやく実感することができた。
Kölnの駅は流石に大きくて気づくことができて問題なく降りることができました。目指すホームステイ先は日本ワーキングホリデー協会が手配してくれた所で送迎者がこのケルン中央駅に来てくれるという手筈になっているので、その人を探す。
予定の一時間前ということで、なかなか見つからなかったが15分前に無事発見でき、本人確認が取れると車に乗るように促されて車に乗り込み20分くらいで目的地のホームステイ先に到着したようで、車から降りると家のベルを押してくれて到着したことを家主に知らせてくれる。その後玄関が開くことを確認すると送迎してくれた人は帰っていた。出迎えてくれたのは、高校生ぐらいのこの家の娘さんのようだった
先ずは僕が住む部屋に案内される。部屋を確認し荷物を置いた後、僕が言葉が全く駄目だということがわかったようで、家の使用について簡単な単語で説明してくれた。トイレ、シャワーの使い方。ほとんど意味はわからなかったが、理解できたのは、夕食は7時頃準備がで
きたら呼ぶ。もしいらない場合は事前に連絡。朝食はキッチンにある物で自分で用意して
食べていい。
後は家の鍵をもらい使用方法の確認とオートロックだから気を付けてというような内容をたぶん理解した。説明が終わると部屋に戻り荷物を降ろす。部屋はベットにクローゼット、机でクローゼットにはバスタオルやバスローブが入っていて使用していいようで洗濯は週2回で籠に服を入れて出すと洗ってくれるみたいだ。
家の中を靴で歩くことに抵抗もあったが、部屋でも靴というのは凄い違和感があり部屋では靴を脱ぎベッドに横になり一息つく。結構自分は方向音痴で携帯も使用できないので無事にホームステイ先に到着できるかとても不安があったが、無事に到着でき一安心。
しばらくベットで横になっていると名前を呼ばれたので、夕食の時間ということで部屋から出て階段を下りる。リビングに行くと先ほど僕に説明をしてくれたこの家主の娘で高校生のエルミアという女性ともう一人リアという女性そしてケイラーという男性が席に着いていた。
皆で自己紹介をすると、カルラが今日は父も母も用事でいないのでスーパーで買ってきた物での夕飯ということを説明した。夕飯はサラダ、ポメス(ポテトフライ)カルフォルニアロールでした。ネットで調べていてドイツはじゃがいもと野菜が多く食事は質素な物が多い
と聞いていてはいましたが、本当なんだと思いました。
不味くはないのですが、美味しくもないなんともいえない味でしたが、お腹は満たされました。エルミア、リア、ケイラーの3人の話しをほとんど意味はわからなかったですが、とりあえず聞いていると二人は休暇で来ている大学生と社会人ということだけはわかりました。